新舞子サルサフェスティバル
Last update: Dec.28/2002
あれは1999年の春だった。
今年こそは夏イベントを!と意気込んでいた矢先、ひょんなことからBanda-Mi-Tierraのじゅんさんから「大阪のライブがある帰り道、名古屋でライブできまへんか?」のブッキング依頼が。それなら!とそれをテコに実現したのが、3回も続き夏の風物詩ともなった「新舞子サルサフェスティバル」の記念すべき1回目であった。
依頼が来たのが4月。予定は7月3日。主要なライブハウスの予定は土日からどんどん埋まっている。良いハコが見つからぬままに、困り果てていたHydeの目にふととまったのがローカル新聞に入った2ヶ月前のKOKOMOの折込広告。Hydeの棲家からは徒歩10分の距離。ライブもできるとある。早速ツテを頼って話にいくと、へんな社長が出迎えてくれた。
海岸に0分、全面オーシャンビューの絶好のロケーション。リゾート気分もばっちり。 お店もイベントを求めていて、話はとんとんと決まり、晴れて新舞子サルサフェスティバルの実現と相成った。
決まったものの日程はタイト。ライブもできるといいながらまともなPAがあるわけでもなく、これまたツテを頼って機材もかき集めてと大騒動。イベントチラシを作るも初めて。どうやってチケットを拡販したらいいのかも分からず右往左往の日々となった。
当日は、折から梅雨も末期の集中豪雨との予報。ミティエラメンバがKOKOMOに到着するコロには伊勢湾上空には暗雲が立ち込めて、見る間に雨が降り出した。
この雨で客は来るのだろうか?不安は募る・・・
ふたを開けてみれば、梅雨も末期の集中豪雨という悪天候にもかかわらず、おかげさまで観客動員150人を突破。この人たちはいったいどうやってこのライブを知ったのだろう?
もちろんオープニングはわがConjunto Domestico。
これがまた大変な状態で。ミティエラから打診があった当時、実は、オリジナルメンバでバンドを引っ張っていたCantanteのアルベルトが春に突然の休団宣言。すでに産休から復帰の見込みのなかったbongoのよこいーとあわせ、バンドの存続も危ぶまれていた状態だったが、そこを、暫定カンタンテHydeの起用、Congaの穴は前年から参加してきたコンゲーラなっちゃんに任せることにし、bongoにはまだ正式メンバなのかトラなのか分からないままのマエストロnomurandoにお願いということで乗り切ることになった。従ってこのときが、その後現在まで続いてしまっている暫定カンタンテ”Domingo”Hyde丹羽のカンタデビューでもある(実は10年前にOrq. A La Genteではカンタデビューしているのだが)。
暫定なので、曲数もさほど準備できず全6曲であったが、オープニングアクトとしてはまぁちょうどよいぐらいか。
さてミティエラのステージは名古屋のサルサシーン始まって以来の異様な盛りあがりを見せた。
ステージが始まるころはいったん雨も上がり、ベランダ席ですごすも快適な夏のイベントの雰囲気が出てきたところだったが、ミティエラのステージが進むに連れて、また雨が降り出し、またまた豪雨が窓を叩く状態となった。
雨の湿気でタダでさえむんむんする室内で、ライブは否応なく盛り上がっていく。そしてその盛り上がりは「Corazon Ansioso」の2コーラスめ「もうこれ以上ない・・・」と唄ったところでピークを迎え、ブレーカもあがってしまった。停電でも音はとまらない。スタッフは配電盤へ走る。この曲では2分12秒の停電を含んで、停電復旧後もどんどんヒートアップ。終わったかと思えば、誰かがリズムをはじめてしまうこと5回、最後は「じゅんさんがもう勘弁してください!」とナキをいれてもお客さんのアンコール拍手で始まってしまい、結局18分48秒に及ぶ大盛り上がりとなった。最後はDomesticoメンバも混ぜてもらってのデスカルガ大会へ。当初のライブ可能時間が22時となっていたので、予定時刻で終了、となるかと思いきや、盛り上がったお客さんがそれで許すはずもなく、延々つづくアンコールの拍手。純さんが「やってもいいの?」とKOKOMOの社長をみれば、そこにはみずから「アンコール!!」と叫んで拍手する社長の姿が!
文句無しのアンコールでは、じゅんさん、仁さんのフロントもお立ち台で歌い踊る、結局、2回のアンコールでようやく幕を閉じたのだった。
大急ぎの撤収作業のころには、集中豪雨もすっかり過ぎ去り、心配していた電車の運行停止もなかった。
打ち上げも、伝説に残りそうな盛り上がりとなり、ダーツ大会やらなんやらが始まり次第に架橋に入るとヨルバ語で唄いだす人たち、傍らではいったんしまったCongaを引っ張りだしてきてルンバ大会が始まる。夜が白むまでの大宴会だった(これが元で翌年は打ち上げは1時までという制限ができてしまった^^;)。このときミティエラメンバーが店の柱に書き残した落書きが、ずっと残っていたが、KOKOMOが閉店した今それがどうなったか、まだ確認はできていない。(KOKOMOは2002年3月一杯で閉店。その後、名鉄産業が経営する喫茶が営業している。)
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なお、Banda-Mi-Tierraのファーストにして今のところ唯一のアルバム「頭痛薬はいらない」は発売元であるバンダイが音楽事業から撤退したため、廃盤となってしまい、通常の流通経路では入手できない。
ただし、music.co.jpで、MP3のファイルを購入することができるようになった。
年月 | 場所 | 出演 | 曲目・内容/メンバ | |
7月3日 | 知多市 | Restaurant & Bar Kokomo | Conjunto Domestico
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Porquete Tengo Que Olvidar/ Desnudate Mujer/ Mucho Mejor/ No Pierdo Las Esperanzas/ Soy Antillano/ Cantando Vivire |
Hyde丹羽(Canta, Coro)、英子/淳子(Coro) なっちゃん(Conga)、野村(Bongo, Guiro)、小幡(Timb)、フリータ山口(Clave, Campana) 水谷ヨシロー(Piano)、マユミ(Piano, Coro)、のだっち(Bajo) チェピート/セミちゃん(Tp)、井口(Tp, Tb, Coro) |
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Banda-Mi-Tierra | 踊らんと唄わんと/ いつでもおいで/ Tu Y Yo/ Moonlight Serenade/ No Vale La Pena/ What You Won’t Do For Love/ がんばりましょう/ Corazon Ansioso/ Mi Salsa Tiene Sandunga/ They Long To Be Close To You/ 頭痛薬はいらない
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Jun/Jin(Canta, Coro) 石川雅康(Conga、リーダ)、高村BUN太(Bongo)、山北健一(Timb) えなみ(Piano, Coro)、大ちゃん(Bajo)、Waro(Guitar) 中根/オギー/ケースケ(Tb)、りか(Fl, Coro) |