東海サルサ歴史館第1回はやはりレロライ倶楽部の誕生でしょう。 レロライ倶楽部より前には、東海地方でサルサのまとまった動きは無かったようです。(そんなことはないぞという貴方、せひワタシに教えてください)

<黎明>
1983年6月、Hyde丹羽が出した ラティーナ1983年7月号の「東海地区にもサルサオルケスタ を」という募集記事 に呼応して、2人から連絡が入る。ただし、ミュージシャ ンはわずかにマエストロ小栗師匠ただ一人。もう一人は、なぞのひげ男=レ ロライ倶楽部会長となるエクトール野口氏。エクトル氏、小栗氏ともに岐阜在 住のため、岐阜は長良橋(だったか金華橋だったか?)の袂で会う。この時ま だ車を持っていなかったHydeは、前年秋の某TV局の面接で再会(ちなみに二人 とも落ちました^^;)した横井に車を出させて同行。この4人に当時岐阜は柳ケ瀬 でサルサバー?「ウキウキ」をやっていた本職グラフィックデザイナの西脇氏 を加えたメンバで翌月東海サルサ振興会「レロライ倶楽部」を旗揚げする。

レロライ倶楽部としては、月一回の例会のほか会報「Lelolai」の発行、Our Latin Thingやサルサビデオの上映会、大阪のサルサバンド 「Salsa El Primero」を呼んでのLiveの企画など、振興会として活発に活動。 でも2年ぐらいで息切れする。
一方、例会の中でパーカッションセッションとしてスタートしたバンド構想は 、Vo&KBのアルベルトの加入により、徐々にバンドになっていく。
(以上 Conjunto Domestico Profileから)

レロライ倶楽部は、東海サルサ振興会と名乗っていました。
会長にエクトール野口氏、その他、小栗氏、ウキウキのマスター西脇氏、横井に 私Hyde丹羽が発足メンバだった。2回目の例会に、これまた、謎のお笑い研究家 リーマン永田氏が登場する。3回目ぐらいまではウキウキで例会をやっていた。

エクトール野口氏


例会というのは、月に一回テーマを決めてレコードを持って集まって皆で聞こ うというもので、その後、小栗さんと横井とワタシでパーカッションのセッシ ョンをする、というものだった。
アルベルトやCDのTimbal小幡が登場するのは、秋以降で会場もWindyに移ってい たと記憶している。他に大垣の50ぐらいのおじさんがいたり、若くて調子のい いリーマン君などさまざまな人が訪れては去っていった。
この間、かの有名な?Fania映画「Our Latin Thing」の上映会を岐阜の御浪町 ホールにて敢行。大阪のトロピカル音楽愛好会とも交流があり、彼らの「トロピカル通信(トロ通)」のページをLelolaiで誌面ジャックするなどの企画も あった。
発足翌年には、新岐阜駅前サンホールにて「トロピカルだぜ!サルサナイト」を企画。大阪からSalsa El Primeroというサルサバンドを招聘して100名ぐらい の集客があったと記憶している。
また、名古屋へも進出。今池にあった現Tokuzouのオーナ森田さんが店長だった オープンハウスにて、「Our Latin Thing」Videoの上映会や、TH系ライブVideo の上映会(解説者として竹村淳さんにお越しいただいた)などを敢行した。
1985年には、恐らく名古屋で初めてのサルサライブになったはずの「トロピカルだぜサ ルサナイト’85」を今はないGrateful Yuccaにて企画主催。またもSalsa El Primeroを招聘し、ちょうど100名の集客だった。
当時は、サルサをどうやって踊ったらいいのかという情報もなく、ダンスに関しては、新婚旅行?でニューヨーク~プエルトリコに行ったというエクトール野口夫妻のダンスが見本だったりした。
そのほか京都、大阪へのレコード買いツアーやライブを見に行くぞツアーなど良く遊んだが、1986ごろになると例会もマンネリになり、「イベント中心で行こう」と決めたのはよかったが、その年になってSalsa El Primeroが解散。名古屋で企画していたライブイベントも頓挫し、その後、2度とイベントを企画することはなかった。

今年のSalsa Night 2000には勝手ながら一部で「主催:レロライ倶楽部」を使っている。ぴあに登録するための便宜的な団体名として使用したのだが、密かに復活を策謀していたりする^^)。

(レロライ~名古屋サルサ通信~ #0001 2000/08/04から)